大アルバニア主義は思想に非ず、事実を表現したもの

深紅の下地に黒い双頭の鷲。アルバニアの国旗である。初めて、アルバニアへの旅を思い立ったとき、ネットで調べ始めて飛び込んできたのがこの強烈なイメージだった。また、ネット上には「大アルバニア主義」といった言葉も飛び交う。おっと、この国は右派国粋主義者の国なのか?日本語による情報はほとんどないため、皆目わからない。知り合いの専門家、研究者は全員セルビアや旧ユーゴスラビアに偏している。これは行ってみるしかない、という結論になった。

カトリック教会の聖人マザー・テレサがアルバニア人であることを知っていましたか?

成田を発ち、我々はマケドニアの首都スコピエから旅を開始した。巨大なアレクサンドロス大王など、数々の銅像・彫刻の立ち並ぶテーマパークのような市街地の中心部に聖人マザー・テレサの生家跡と、記念館があった。われわれ世代の記憶には、彼女の晩年の姿が、故ダイアナ妃の慈善事業と重なり合う。小さな記念館だが、マザーの生い立ちを知り、その偉大な足跡に驚嘆するには十分だった。次いで我々はコソボの首都プリシュチナへ向かった。するとそこでもまたマザーの銅像に出会う(写真)。それはマザー・テレサ通りと名付けられた目抜き通りに建てられていた。「なぜ、ここにもマザーの銅像が?」と聞けば、「マザー・テレサはアルバニア人。すべてのアルバニア人の誇りです。」とのこと。そう答えたのは、アルバニア系コソボ人であるガイドのヤトンさんだ。我々を乗せたバスがコソボに入ったところで乗り込み、いきなりアルバニア人運転手とひとこともわからない言葉でおしゃべりを始めたので、ハッと気付いたのだが、コソボは事実上アルバニア人の国(9割以上がアルバニア人)であった。そう。この住民構成が世界の注目を浴びたコソボ紛争(1998-99)の原因でもあったのだ。実は、アルバニアの首都ティラナにもマザー・テレサ通りはあり、また国際空港はマザー・テレサ空港の異名を持っている。

アルバニアの旅を終えた印象。コソボで会った修道院のセルビア人や、マケドニアの人々も含めて、出会った人は素朴で穏やか、そしてホスピタリティに富む人ばかりであった。冒頭にご紹介した真っ赤な旗は、真っ青な空と海、そして新緑の山々によく映えて美しかった。「大アルバニア主義」たる言葉を過激な民族主義、拡張主義、という風にとらえるのは間違いではないか?そんな印象を持っていたら、世界の耳目を集める「事件」が起こった。サッカーW杯ロシア大会で、セルビアと対戦したスイスのアルバニア出身選手2人が、ゴール後相次いで「鷲のポーズ」をし、FIFAの制裁を受けてしまったのである。
(事件を報じるswissinfoの記事)
https://www.swissinfo.ch/jpn/ワールドカップ…

私は改めて、「大アルバニア主義」なるものの実体、本質を知りたいと思った。しかしその結論を出すには、まだ私のアルバニア体験は大いに不足している。それでもそれなりに調べた結果として、先般、英国における学会で出会ったアルバニア人の過激主義研究者から得た見解をもベースに、私見を記しておこう。

「大アルバニア主義」とは、主義主張、思想である前に、事実である。ここでいう事実とは、アルバニア語という言葉を話し、文化をひとつにするアルバニア人が、現在の国境を越えて分布している、ということだ。そして、コソボという、かつてセルビアが支配し、正教会の総大司教座も置かれていた地域において、アルバニア人が圧倒的な人口的優位を保っている、ということでもある。コソボは2008年に独立したが、旧東側諸国にはまだその承認をしていない国も多い。逆に、アルバニア、コソボは親米、親NATOの路線をとる。先述のサッカーの試合においても、セルビアの対戦相手はスイスであるのに、(アルバニア系選手が多いため)セルビア・サポーター側からは執拗な挑発があったという。このように、セルビア民族主義に対する反作用としての性質も持っている。民族としてのアイデンティティを保つことは、どの民族においても当然のことである。しかし、アルバニアについて言えば、セルビアに対する政治問題を常に抱えており、この文脈において大アルバニア主義を安易に持ち出すと、それは安全保障問題に発展する懸念がある。しかしその一方で、現在大きな政治潮流となったり、過激武装主義勢力が台頭したりといった問題には至っていないのだ、ということも理解しなければならないのではないか。(J)

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